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広報部コラム『地方の劇空間について考える』片岡友美子

北関東の地方都市で小さな演劇のアトリエを運営することになって7年が経ちます。

2018年の年末に柿落としをしたので、立ち上がって1年後にはコロナ禍に見舞われましたが、その間もなんとか活動を継続して今に至っています。

なので、肩書き上、支配人と名乗っていますが、特に支配しているものはないので、自分で名乗る時はちょっと恥ずかしい気持ちになったりします。

支配するとは辞書で引くと「自分の勢力下に置き、意のままに動かせる状態にすること。 統治すること」とありますが、支配人と副支配人の二人だけで運営している場所なので、お互い支配しあっても仕方ないし、関わっている方々も私に支配されているとか思ってもいないでしょうし、ほんとに、何を支配しているのかわからない支配人です。

そもそも、以前から地域にこういう場所が必要だ、と常々話していましたが、自分だけの力で劇場を作ることなんてできるはずがなく、さまざまな要因が重なってこのポジションにつくことになったわけですが、思い返せばその昔学生時代、当時京都にあった「アートスペース無門館」と言う劇場の遠藤さんに、「あんたは一生演劇やるやろ。そういう顔してるわ。」と言われたことが、ずっと頭に残っていて、「あれはこうなる予言だったのではないか」と思ったりするので、劇場という場に支配される才能はあったのかなと思います。

つまり、劇場に支配される人、と言う意味での「支配人」なのかもしれません。

それでも支配人、と言う役を7年やっていると、少しくらいは考えることがあります。ので、今回はそのことについて語ろうと思います。

といいつつ、いや待てよと思うのは、果たして、大都市にある小劇場と、果たして自分の運営している地方のアトリエは同じように語っていいのか?と言う疑問です。

都市部の小劇場というのは興行としてもきちんと成立しているものが行われることが大半だろうと思いますが、地方におけるこういう場は、もちろん赤字ではありませんが、それで生計を立てているプロの舞台関係者たちが仕事として演劇をやる場所とはちょっと異なるのではないか、と以前から思っていました。

その違いがどこからくるのかずっと考えてきて、プロとアマチュアは違うと言ってしまえばそれまでなのですが、先日まで世界中に感動をもたらしていたオリンピックの選手たちも、企業に所属していたり、働きながら競技を極めたりしているけれどそれでもその競技のトップレベルを極めている、ので、それがすなわち質の違いとは言い切れない。

そう考えて、一番の違いは生活と地続きであるかではないか、と最近思っています。

そして、その生活と地続きの演劇活動を広く受け止められる、敢えて言ってしまうと公民館のような場でもあるのが、地域のアトリエの存在意義ではないかとそんな風に思っています。

そして、「場」があることは、まだまだわずかなので、はっきりとは言い難いのですが、そこに住んでいる人たちの生活を少しずつですが変えていっているように思います。

私たちのアトリエで芝居を上演する人は、学校に通っていたり、仕事をしたりしている生活の中に演劇がある人が大半であり、それぞれのライフステージが変われば演劇との関わり方も少し変わっていきます。その時々で、まず先に「場」があることで、そこに来て人と関わりあったり、出会ったりすることで、演劇と関わる人が結びついていく。そういう場所であるように思えています。

特にうちのアトリエは、空いている日を時々自由に公開していることや、コロナ期間中、公営の施設に比べて、自由な裁量で運営できるなど、自由度が高いことも面白いことに結びついているような気がします。

現在、北関東エリアでは県を跨いだ交流やイベントが徐々に活発になっていますが、「場」の存在が、そのきっかけの一つになっていたら嬉しい限りです。

演劇のための「場」に、どんな可能性があるのか、この先「場」があることで地域の人たちの生活にどんなことが起こっていくのか、期待したいと思っています。