CLOUMN
広報部コラム『コンクールのススメ』弦巻啓太
若手演出家コンクールの募集が今年も始まった。自分は2012、2014に応募し、2014で最優秀賞となった。結果はもちろん嬉しかった。38歳にして全国区の大舞台で勝ち取った最優秀賞だった。
自分は北海道の札幌で生まれ、一度も移住を経験していない。むしろ昨年家族の事情で実家に戻ってきた。通ってた小中高が歩いて20分圏内にある。ずっと札幌にいる。それしか知らない。
今はありがたいことに全国各地に足を運ぶ機会も増えた。各地の演劇人との交流も増えた。自分が当たり前と思っていた演劇の常識が通じないこと、食い違うことも経験した。そうした経験も若手演出家コンクールへの参加で広がった交友の賜物である。
(なのでぜひ!ご応募下さい!データでの応募が可能となって負担は軽減しました!!)
地方で演劇を続けるというのは難しい。
何のために演劇をやるのか?その問いに答えるのが難しい。
「プロ=専業の演劇人を目指して演劇をする」
その道もあるだろう。だが地方ではそもそも市場として演劇は成立していない(東京も…?)。演劇の収益だけで生活できるような潤沢な経済が整っていない。なので「プロになる」というのは東京を目指すことになる。その時点で「地方で演劇を続けている」ことから外れてしまう。
では地方で続ける意味とは。
「続ける意味」というと少し違う気もする。
続けられる動機、とでも言おうか。
地方で演劇を続けられる動機とは。
「楽しいからやる」
本来それだけで充分のはずである。リターンなんて求めていない、自分がやりたいからやるんだ、そういう道だ。仕事を果たしながら、それとは別に趣味として演劇を続ける。蕎麦打ちや写真やゴルフのように(?)
だが楽しみ続けるというのも実は難しい。同じことを繰り返すことに飽きが来るから。
「飽きる」。これが一番の続ける障害になるのでは。意味を見出せなくなる、もこれに含む。
ではどうしたらそこから逃げ出せるか。
さらに厄介なのは、そして素晴らしいのは演劇には観客がいる点である。劇場を借りたり設備を整えるのにもお金がかかる。なので多くの企画は観客に入場料を払ってもらうのが必至である。全部持ち出しで、自腹で毎公演を仕切れる財力があるなら別だが。そうなると、自分が楽しいだけではなく、観客も楽しませなくてはいけない。続けるなら、また次も来ようと思ってもらうのが大事になる。媚びた作品作りという意味ではない。あくまで自分にとっての「楽しい」を追求した結果、観客にそっぽを向かれることも、反感を抱かれることもあるだろう。だが強い姿勢で作られたものと相対することを求めてる観客もいる。「次はどう来るか」と関心を持たれるかもしれない。
このように自分だけじゃなく観客も飽きさせないことが “続ける課題” となってくる。作品だけじゃなく、活動を通して。
演劇が仕事になる。そうした経済的成長があれば手応えもあり、「同じことを繰り返していない」確信も持て、続ける動機になるかもしれない。次回はもっと多く、もっとでかく、と。
もちろんそうなる幸運な道もあるだろう。
だがそうした手応えが思うように得られなかった場合、それでも地方で演劇を続ける動機をいかに見つけるか。
違う題材を見つけても、同じ創作を繰り返してしまうことはある。逆に同じテーマでも、違う創作が生まれるケースもある。自分達は新しいことにトライしてるつもりでも、観客が同じと見做して離れていくケースもある。
自分が思うのはやはり創作を磨いていく道しかない。より優れた演劇を、舞台を作ること。経済的な指標がついてこなくても、観客にそっぽを向かれても、自分が楽しいと思う創作でより良い演劇を創造すること。より優れた。より極められた。同じことは繰り返さない。
劇作と演出を始めて30年になる。自分の劇団は地方の劇団としては再演が非常に多い劇団である。ありがたいことに、賞とは縁がない劇作家ではあるが、作品は全国様々な場所で上演され、札幌の観客から再演を希望していただくことも少なくない。だが再演含めて、同じことを繰り返してきたつもりはない。
自分は創作としては「ウェルメイド・コメディ」と呼ばれる非常に馴染みある形式での創作が主である。劇作で実験や破綻や異化を試みることはほぼない。そんなわざわざ枠の中で、いつも課題を設けトライして来た。同じことを繰り返さないように。ただ、上演した後「繰り返しだったな…」とか「想定ほどチャレンジにならなかった」と反省したことはある。
自分にとって目の覚める機会や、改めて自分の創作の座標を知る機会となったのが若手演出家コンクールへの参加である。自分以外の創作者やその舞台を見て、自分の表現が世界にとってどういう存在なのかを思い知った。レベルが高いとか低いとかの次元ではない。山はどれだけ高く、海はどれだけ深いのか。自分に見えているのかいないのか。自分の創作はどのくらいオリジナルなのか。
2014の打ち上げで審査員の一人は「まあ今年は彼(弦巻)が棚ぼた的に最優秀賞になったけど〜」と口にした。笑ってしまった。自分もそう思っていたから。そのくらい、この後やるべきことを無数に抱えた最優秀賞だった。
足りないことを知る、というのは自分にとってはありがたいことである。やるべきことをたくさん突きつけてくるから。たくさん突きつけられる、ということは、やる動機になるから。
老害著しいことではあるが、札幌で活動していて若手の舞台を見ていて、満足したり不満を感じたり色々あるが、いらぬおせっかいを焼きたくなってしまう。
自分は演劇をたくさんの人に楽しんでもらいたい。演劇を行う人も増えてほしい。だから若い人達が演劇をするなら応援したい。旗揚げの劇団にも足を運ぶ。応援したい。続けて欲しい。続けられる動機を見つけて欲しい。飽きずに続けられる何かを。
演劇が盛んと言われる札幌だが、確かに恵まれた環境ではあるが、問題が無いわけではもちろん無い。その問題の一つが、北海道外の演劇文化、歴史との断絶である。断絶だと言葉が強いか。疎遠さ、とでも言おうか。
札幌の演劇状況は独特の発展を歩んできた。先人たちの努力でその環境の充実は素晴らしいと誇れるものである。だが創作の面で言えば、小劇場演劇ブーム以降の手法や文化を享受できていない、という側面が大きくある。現代口語演劇の視座も、批評性も消化されていない。知識として広まってはいるかもしれない。だが「てことは、自分達の表現はどうか?」という比較検証がされてはいない。仕方がない。お手本がない。疎遠だから。
なので若手劇団の舞台を見ていてもそこが気になってしまう。勝手に行き詰まってない…?と心配してしまう。新しい何かを見つけられているのだろうか、と。20代はこれがやりたい!で突っ走れるかもしれない。だが「これがやりたい!」をやり切った後にそれはやって来る。あるいはそれだけでは満足できなくなった時に。
身の回りの先輩や、札幌の小劇場で創作を続けるカンパニー(我々だ)を観ているだけでは、その再生産にならずにそこから抜け出すのは難しい。同じことの繰り返しにならずに、自分を(観客を)楽しませる課題を見つけて欲しい。山は高い。海は深い。
その壁にぶつかった、という訳でもないだろうが、やはりいつの間にか活動を目にしなくなる団体はある。理由は色々あるだろうが、創作への飽きが原因でないことを祈りたい。
自分の劇団、弦巻楽団では毎年『秋の大文化祭!』という企画をやっている。その中で、機会の許す限り道外のカンパニーを招聘し上演を行ってもらってきた。2023年には劇団5454を、2024年にはPANCETTAを招聘した。どちらも素晴らしい上演で、札幌の演劇祭の大賞を両劇団は受賞した。
何より札幌の観客だけじゃなく若い演劇人に両劇団に触れてもらいたかったというのがある。札幌のカンパニーを観てるだけでは絶対に観られないタイプの上質な表現を知ってもらいたかった。どちらの劇団も自分のその想いに応え、ワークショップも盛んに行ってくれた。
そして今年、2026年の『秋の大文化祭!』には3名の演出家(カンパニー)を招聘する。
2014の若手演出家コンクールで最終審査を共にした大迫旭洋(プレグラ)、亀尾佳宏(劇団一級河川)、山下由(Pityman)の、3名の演出家である。
もう一度、ここ札幌に集ってもらう。
3名とも創作を磨き続けている。この12年その活動はとても刺激になった。お前はどうだ?といつも突きつけられているようだった。なので、もう一度集まりたいと呼びかけた。皆さまざまなコストも承知で了承してくれた。
札幌の若き演劇人たちにこの3名を紹介できるのが嬉しい。そして自分も含め、この表現手法もテーマもバラバラな4人を審査した若手演出家コンクール2014の最終審査の凄まじさ(?)を追体験して欲しい。もし自分達にない要素を見つけたら、どんどん吸収して欲しい。その価値が詰まってる3名である。単純に、おもしろーい!と興奮して欲しい。俺らもあれやってみよう、と盗んで欲しい。
地方で演劇を続けるというのは難しい。
何のために演劇をやるのか。何を動機として演劇を続けるのか。
若手演出家コンクールに参加することで全ては解決しないけど、扉を開く行動にはなります。外に出て、山に向かう、海を目指すアクションに。それは痛みを伴うかもしれない。けれど大きな得難い機会と、広がりを与えてくれるかもしれない。12年前の自分のように。
12年前、同じように鎬を削りあった3人ともう一度劇場で相対する。
正直言えば自分も怖い。なんせ棚ぼたである。彼らの表現の素晴らしさに打ち砕かれる(?)かもしれない。積み重ねが曝け出される。しかし、そうなったらそれもしめたものである。
足りないことは、続ける動機になるから。
同じことを繰り返すよりはずっと良い。



