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『地域で活躍する演出家シリーズ』武田宜裕
【プロフィール】
武田宜裕(たけだ よしひろ)
群馬県生まれ。広島県在住。
高校でバスケ部に入る予定がロン毛でギター弾いてた先輩に無理やり連れ込まれた演劇部の新入生歓迎公演に感動して翌日入部、以来30年超の演劇との付き合い。
大学時代に始めたサークル内演劇ユニット「いなごDX」を前身として、2006年に「INAGO-DX」を始動。広島を拠点に県内外で活動。ほぼ全ての公演で脚本・演出・出演を務める。
演劇の力を信じたファンタジックな作風に現役公務員であり二児の父としての日常経験を潜り込ませるスタイルが特徴。
短編演劇のコンペティション「中国ブロック劇王」「四国劇王」優勝。「若手演出家コンクール2024」最優秀賞。劇作では、山川愛美との共作で「田畑実戯曲賞」佳作選出など。
プロを目指していたわけではなく
スポーツ少年だった私は、高校でバスケ部に入るために体育館に向かっていたところ、ロ
ン毛の怪しいギター弾きの先輩に無理やり連れて行かれた「演劇部の新入生歓迎公演」に
感動し、翌日に入部届を出し、以来33年の演劇との付き合いです。
広島県の西の端・大竹市という人口25000人のまちの役所で働く現役公務員で、仕事をし
ながら2006年に社会人の演劇ユニット「INAGO-DX(イナゴデラックス)」を立ち上げ、
今年で20年になります。
始動当時は「三ツ星シェフが作る最高級のスナック菓子」を合言葉に、高校時代の自身の
バイブル的作品である『ある日僕らは夢の中で出会う』(高橋いさを作)、『朝日のような夕
日を連れて』(鴻上尚史作)に憧れて、男優だけの舞台を立て続けに創作。ダンスありアク
ションありのコスプレチックなドタバタ劇にテーマっぽいものを忍ばせるスタイルで広島
ではそれなりに人気を博しました。
短編演劇のコンペティションである「劇王」への参加を機に、会話劇やよりテーマ性を持
った作風に少しずつシフトしていきました。
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舞台写真『エレファントヒヒーン』(2007)

中国ブロック劇王決定戦
コロナという日常、日常と演劇
全国で演劇活動が休止、停滞を余儀なくされる中で、INAGO-DXの活動は、実はその1
年前に一旦小休止状態でした。私を含むメンバーの仕事や家庭の状況変化、過密な活動ペ
ースによる負担増などから、活動のあり方を見直す時期に来ていて、コロナはまさにその
タイミングで襲ってきたと言えます。
それはある意味、団体としての足元をしっかり固め直すことに繋がりました。僕らは普段
地域の公民館で活動していますが、コロナ禍でもオンラインで公民館まつりを開催しよう
とするグループの皆さんの活気にほだされて、一年に一度のおまつりに参加するようにな
りました。横川地区という、広島では比較的アートに優しい地区で毎年ゾンビメイクの人
たちがまちを盛り上げる「横川ゾンビナイト」という地域活性化イベントに、私たちもゾ
ンビの格好をして演劇をするようになりました。蔓延する感染症に対する人間の無力さと
しぶとさをゾンビに重ね合わせた「ゾンビ演劇」はシリーズ化され、屋外ならコロナも関
係ねぇとばかりに路上や屋上で上演を重ねました。
元々、広島では演劇で生計を立てることはできないと割り切って活動を続ける「社会人劇
団」である私たちにとっては、常に演劇は日常生活と隣り合わせであり、日常の中に演
劇、演劇の中に日常があることをこれまで以上に意識するようになった時期でした。それ
ぞれの趣味のグループでガヤガヤと賑わう公民館まつりの参加者の笑顔に触れながら、演
劇だけが高尚に気取って高いチケット取って(もちろんそんな舞台も誰かにとっては日常
を彩るのだけれど)、興行を成立させることも大事だけれど、もっと日常に身近に、演劇が
生活に彩りを与えるものであってよい、という想いを強くしていきました。
また、コロナによって「演劇は不要不急」という現実が突き付けられる中で、「何故演劇を
するのか」という問いの答えを追い求めるように、そして劇場公演の再開と共に、団体の
活動は再加速していきました。

公民館まつり

ゾンビ演劇
偉そうだけれど背中を見せたい
2024 年、日本演出者協会の若手演出家コンクールにエントリーしました。実は2013年に
も一度エントリーしたことがあり、その時は二次審査で落ちました。11年ぶりにエントリ
ーしたのは自分たちの現在地を知りたい、何かしら団体に箔が欲しい、色んな理由からで
すが、根っこにあったのは広島の演劇事情です。
かつて先達たちが広島の演劇文化を紡いできたことに対する感謝と敬意を持つ一方で、私
が広島市内で活動を始めた頃、演劇は既に下火傾向であり、チケットはほとんどが身内へ
の手売りで、俳優は出演料どころか毎公演低くないノルマを課され、負担が大きくなるた
びに若い有望株は辞めるか東京に行くかという状況でした(僕から見ればですが)。
私たちも社会人劇団なので、労働の対価としてのギャランティと呼べるものは出演者など
に支払えていませんが、せめてノルマや参加料は取らずに、公演の黒字は少しでもバック
する仕組みにすることを絶対条件として、活動を続けました。
同時に、僕らが劇団を始めた時、例えば愛知の演劇界における北村想さんや天野天街さ
ん、佃典彦さんのような「後進が目標となるよう背中を見せることができる」演劇人は、
残念ながら広島には見当たりませんでした(あくまで僕の目線として)。⾧らく広島で舞台
制作を続けていた一般社団法人舞台芸術制作室無色透明の岩﨑きえさんから言われたの
が、「広島の演劇界には30年の負債がある。私はこの負債をまた30年、後に続く人たち
に残すわけにはいかない」という言葉。彼女の制作者としての覚悟は同時に創り手である
私に向けられました。「広島には後進が追うべき背中がない。貴方が背中を見せられる存
在になれ」。
元々、対外的な評価などに関心なく活動を続けてきた私は、その時から自分の現在地を
徐々に意識するようになりました。ある意味その集大成が、若手演出家コンクールだった
といえます。
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舞台写真『遺食』(2023)

若手演出家コンクール2024表彰式
広島の演劇文化のことを考える
背中を見せる人が居ない、なんて、しかも自分がその背中になろうなんてホント偉そうだ
なと思います。これまで演劇を繋いできた先達たちにも失礼極まりないなと思います。私
にもお世話になった先輩たちがたくさん居ます。上手いなぁ、すごいなぁと思った人も居
ます。
けれど、どうしても広島の地に根付かなかったものもあります。
行政の文化的支援の少なさ(それが故の反骨心の創出という側面はありますが)に加え、
演劇専門の劇場もほとんどありません。
そんな中でも今、広島に根を張って自主公演を続ける劇団があり、演劇事業を粘り強く続
ける公共施設もあり、先述の岩﨑さんは法人として後進育成の事業を率先して行っていま
す。
私はどちらかというと新規の劇団員をほとんど採らずに、舞台作品の発信が主で、ワーク
ショップなども行いません。公務員なのでお金を取ろうとは思いませんが、お金云々では
なく、責任を持って教えられるようなメソッドがありません。俳優の演技の良くない嘘の
つき方や、シーン作りにおける違和感やノイズの除去など、あくまで舞台作品の創作を通
してしかカタチにすることができません。(いつかできるようになれたらとは思っているの
ですが)
だからこそというか、広島というイチ地方のイチ社会人劇団が、生活をしながら創る演劇
が全国で評価されることで、日常の中の演劇というものの文化的価値が認められ、仕事や
家庭を大切にしながら演劇をするのが当たり前の日常になるような、そんな広島の演劇文
化が豊かに花咲いている景色を夢見ます。そして夢見たからには、やっぱ実現したい。
先日、東京の「劇」小劇場で開催した若手演出家コンクール最優秀賞受賞記念公演のあた
りから、「社会人劇団」「生活者の演劇」というワードを頻繁に使うようになりました。作
品の中にも、私自身が役所勤めを含む日常の身の回りで起きたこと経験したことが潜り込
んできています。その結果として、社会派なんて標榜しなくても、社会に生きる人間の実
感、実情がイナゴデラックスのある種ファンジックなフィルターを通して、生きることの
本質に触れるような、手触りやニオイのある作品づくりを通して、演劇は常に身近にある
地続きのものであるということを伝えながら、その継続と発展によってこれから演劇に触
れていく人たちの小さくとも確かな希望になれたらと、柄にもなく考えています。
「この人公務員しながらこんな演劇作ってるんだよ、全国で作品を上演して、賞も取って
るんだよ」。
さすがに偉そうすぎる気がしてきましたが、もしそんな人が近くに居たら、いや、公務員
を退職した後も、70、80歳になっても偉ぶらずに、年金もらいながらも地道に良い舞台を
作り続けている人が居たら、(と言いながら偉そうに振る舞っていそうだけれど)、なんだ
か自分も頑張ろうかなって思ってもらえるような、そんな気がするのです。

稽古場写真

劇団メンバー写真


