CLOUMN

CLOUMN

広報部コラム『文明の袋小路で』緑川憲仁

便利なものには、決まって短所がある。

2000年代になってインターネットが普及し、あらゆる情報にアクセスしやすくなったはずなのだが、その後SNSが進化し、もたらされる情報が個々人の思想・趣味にセグメントされる傾向が強まった結果、政治も文化も世界中でタコツボ化に拍車がかかり、様々な場面において分断が深まっている。

それは日本の舞台芸術を取り巻く環境でも同様で、ミュージカル、2.5次元舞台、小劇場、公共劇場系等々、いくつかに分類される舞台ジャンルの観客層が固定化し、相互の観客の往来がほとんど見られない。

理由はさまざまだろう。

まず、私を含め多くの人にとって心当たりがあるのは「物価の高騰」。

ここ数年の急激な物価・人件費の上昇によって、商業演劇においてはチケット代が1万円を超えることも珍しくなくなった。自ずと観劇の機会を減らさざるを得なくなり、結果的に鑑賞の幅広さを失う不幸に繋がっている。

そして、そもそも「情報が入ってこない」ことも多くなっている。

前述のとおり、SNSの仕組みはユーザーの嗜好を解析し、購買の可能性がより高い広告や記事がもたらされる傾向が強い。一方で趣味に隣接する分野で行なわれている情報は届かず、その結果、興味を持つ以前に「知らない」という状態に落ちてしまっている。

SNSを利用して情報を発信する主催者側も、その情報が届く客層の狭さを棚上げして、とりあえず「発信した」という行為で自分をごまかしてしまうこともあるだろう(私はある)。

時代のそうした大きな流れのなかで、便利なものが孕む短所を冷静に見つめ、喪失しつつある出会いを創る試みも多い。

たとえば、格安航空会社が企画する1回5,000円のガチャガチャは、ランダムに指定される旅先との出会いをもたらし、もはや珍しくはないが、図書館や本屋に併設されたカフェでは、書籍とグルメの交わりを生み、もはや日常的な風景となっている。こういった偶然の出会いをもたらす計画的攪拌(かくはん)は、舞台芸術の世界でももっと力を入れるべきではないだろうか。けっして単なるコラボによる一時的な話題づくりではなく、他ジャンル間を人々が継続的に往来する仕組みの構築を。

そのためにはまず、表現者たる私たちが、一部の世界しか見えないスマホの窓から目線を上げて、世界の広さをあらためて捉え直し、自身の好奇心を膨らませることから始まる気がしている。あるいは舞台芸術の表現を打ち捨ててしまうくらいの好奇心で。

緑川憲仁